2016年12月30日金曜日

徳川家康だけじゃない(8)岡崎市は地震に強い

今回は愛知県岡崎市の地震に関する話題です。

岡崎市(特に中央から東部、北部)は比較的「地震に強い」場所と言えます。

今から約50年ほど前、まだ子供の頃に、大正生まれのお年寄りから聞いた話です。

「この辺りの土地(=岡崎市)は大地震にも強いんだ。」

「へえ~すごいね。で、どうして地震に強いの?」

「昔から岡崎市の地べたは他よりも固い石からできているからだよ。」

「ふ~ん、なるほど。」

 まるで落語に出て来る与太話のような会話ですが、少し気になったので調べたところ、実は、ほぼ本当のお話でした。

 岡崎市は徳川家康の誕生の地として有名ですが、その他にも優れた特徴が多くあります。 例えば、岡崎市は花崗岩(かこうがん)の名産地で、日本の三大「石都」と言われています。他は二つは茨城県の真壁と香川県の庵治です。

特に岡崎市内の中心部から北~北東方面にかけては、昔から石屋さんが大変多く集まっていました(現在の石工団地は場所を変えています)。

愛知県の岡崎市には古代より非常に多くの花崗岩(御影石とも言います)が地盤に眠っています。岡崎では1,000年以上前から石彫品が売られていたと言われています(日本石材工業新聞HP、日本の名石記事参照)。

http://www.nskonline.jp/stone/hokuriku.html

花崗岩とは、地球の大陸地殻の深部を形成する深層岩として主要な石です。それ故、性質としてはとても硬くて緻密な性格を持っています。

「花崗岩は緻密で硬いことから、日本では古くから石材として使用されてきました。石の鳥居や城の石垣や石橋に用いられるほか、道標や三角点・水準点の標石にも用いられてきたのです。近代の建造物の例としては国会議事堂の外装が全て日本国産の花崗岩で出来ています(wikipediaの説明参照)」。

さて、この地方にも昔から地震はありました。過去には、三重県・愛知県・静岡県を中心とする広い範囲に大被害を与えた1944年の東南海地震、その数ヶ月後の1945年には三河地震が起きています。 

本当に岡崎市は地震に強いのでしょうか? そこで、当時どの程度の被害があったのか被害調査の記録を調べてみました(内閣府、三河地震の災害の概要をHPで参照)。

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1944-tounankaiJISHIN/pdf/8_chap4.pdf

その結果、とても面白いことがわかったのです。 結論からお話しします。

三河地方全体ではM7レベルの大地震による大きな被害と多数の死者が出ましたが、被害の多くは、三河の南部の西尾市や西部の安城市などが中心でした。

それに比べて、岡崎市はそれらの市に隣接していますが、記録にある死者数、住戸被害率などはほぼ 1/10以下でした。岡崎市でも矢作橋が一部壊れていますが、記録の数字を見る限りでは、実際の住民や住戸への直接の被害は、周辺の市に比べかなり低くかった様子です。

とりわけ、岡崎市の中心から北東にかけての山方向は被害が少なかった。一方で、矢作川など川が近く地盤のゆるい地域に被害が集まったようです。つまり震源地からの距離の問題だけでなく地盤の地質の固さが大きく影響していることがわかります。

独立行政法人 防災科学技術研究所 自然災害情報室のHPを参照

そこで、岡崎市付近の地質図も調べてみました。やはり地震の被害の少なかった三河北部から岡崎市北部、中心部にかけては、山側から花崗岩の地盤が張り出しています。「地質ニュース593号、59-64、2004年1月、岡崎の花崗岩を巡って(仲井豊、鈴木和博)を参照」

https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/04_01_08.pdf


つまり、堅固な花崗岩が張り出している場所は、地震の被害がかなり低かったとも言えます。

「岡崎市は地盤が固く地震に強い」というお話は必ずしも与太話ではなく、昔のお年寄り達の実体験から出たお話だったわけです。

とは言え、これは過去の体験談です。将来も安心という話ではありません。地盤が固くても地震には慢心せず充分気をつけましょう。