赤味噌 (豆味噌) の王様とも言える「八丁味噌」が有名です。岡崎の八丁味噌は宮内庁御用達品として皇室に献上されていた歴史があります。そして岡崎市は歴史的には「将軍・徳川家康」が生まれたとして全国的に有名です。
ところが、徳川家康があまりに全国的に有名なため、「岡崎市=徳川家康の生誕地」のイメージだけが強く定着しました。 つまりそれ以外の歴史に関してはほとんど知られていません。岡崎市民ですら「徳川家康」以外の歴史はほとんど知らないのです。 これはとても残念なことです。
岡崎市を中心とする三河地方にはとても興味深い古代からの歴史が眠っています。
このブログでは、徳川家康が岡崎市に生まれるよりも約1,000年近く前の「古代」と呼ばれる時代にさかのぼります。 古代では岡崎市とその周辺は「三河国」と呼ばれてました。
次回から、古代の三河国を中心に、kanikamaが注目した興味深いお話を幾つか紹介します。
今回は、現在の岡崎市(古代の三河国の中心)の場所の確認です。地理的な場所を知ることはとても重要なので地図を載せておきます。
古代の朝廷の支配領域は九州から東北まででした。江戸時代中期頃迄は日本地図は九州~東北間のみ描かれていました。愛知県岡崎市は地理的に古代日本のほぼ中心地点に位置します(図参照)。
細長い日本の国土の場合、その地理的中心にあったのが愛知県です。つまり尾張国(名古屋市)と三河国(岡崎市)の周辺は、諸国の管理や物流、人の往来のために非常に重要な役割を持つ運命にあったのです。
愛知県(赤色)の岡崎市は九州~東北間のほぼ中心地点です。 愛知県岡崎市籠田町を中心に半径約750kmの同心円を描きました。 北端の青森と南端の鹿児島のちょうど中心地に岡崎市が位置します。 (図:wikipediaの地図に円を上書き) |
愛知県岡崎市(三河)は古代日本のほぼ中央地点
(図:小学館クリエイティブ)
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