2015年9月2日水曜日

龍の道と古道(3)竜王町は東国への入口

琵琶湖の東に一直線に並ぶ「竜神ー龍王ー竜頭ー龍爪」ライン。
http://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_31.html

今回は、「竜神ー竜王ー竜頭ー竜爪」ラインの西から2番目の竜王町についてお話します。

三上山(滋賀県)の東に竜王町(滋賀県)があります。竜王町は歴史的に大変古くから栄えた場所のようです。

竜王町には竜王山があり、西の竜王山(鏡山)と東の竜王山(雪野山)があります。二つの山には竜の支配者「竜王」が住んでいたと古い言い伝えにあります。

また、西の竜王山(鏡山)は古今集の中で多くの歌人が詠った場所です。東の竜王山(雪野山)も藤原定家、和泉式部、柿本人麻呂らが歌を詠み、また、美女と大蛇の伝説があります。

加えて気になるのは、日本歴史上大変重要な「壬申の乱」で勝利する大海人皇子と、額田王(女性)の二人がここで、恋歌を交換していることです。

大海人皇子と額田王
このように竜王町は古代から京の都にとっても大変身近で、しかも重要な場所だったことがわかります。

さらに、「竜神ー竜王ー竜頭ー竜爪」ラインの謎解きをする上で、大変参考になる情報がありました。この竜王町が古くから東西地域を結ぶ大変重要な場所だったという事実です。

「鏡山付近は平安~鎌倉時代にかけて東国路の要塞であった。往来でかなりの賑わいだった。(竜王町の資料)」 

つまり、京から東国に行く場合は、多くはこの竜王町を通過点としたと考えて良いでしょう。

実際、歴史上有名な源義経も鞍馬山で修行をしたのち、京から東北の平泉に下る途中、この竜王町の鏡の宿に泊っています。その後、義経は竜王町から東の尾張(名古屋)に向いました。なお元服を、竜王町の鏡山で行った説と尾張で行った2説が残っています。

源義経(奥)と武蔵坊弁慶
月岡芳年作
 以上の情報から、「竜神ー竜王ー竜頭ー竜爪」ラインは、京ー琵琶湖から東国(尾張・三河・駿 河)を結ぶ古代の重要な道であった可能性も出てきました。推理は次回に続く。

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