2015年8月26日水曜日

理系の元祖「日置族」(11)織田信長と日置神社

日本全国に日置神社はいくつかあります。それぞれ興味深い由来があると思われますが、ここでは尾張・名古屋の日置神社を紹介します。

正確な創立年は不明ですが、平安時代に編纂された延喜式(905年~)に記載されている「尾張国愛智郡日置神社」にあたるので、かなり古くからある由緒ある神社です。神社名は暦を司る日置部に由来します。

名古屋市の日置神社(神社探訪HP写真)
永禄3年5月、織田信長が桶狭間の戦いへ出陣の折、日置神社へ祈誓しました。織田信長は桶狭間の戦いで勝利し、そのお礼に松樹千本を植えました。これより、「千本松日置八幡宮」とも呼ばれています。

桶狭間の戦いの時、圧倒的多数の今川義元の軍に対して、織田信長軍は少数。それまで尾張を拠点としてきた織田家は実際、滅亡の危機でした。

この命運をかけた戦いの前に日置神社に祈願に立ち寄ったということは、単に進軍の時間稼ぎが目的だったとは思えません。日置神社は織田家の祖先と何らかの関係があり先祖に勝利を誓ったか、もしくは信長が頼りにした戦の神に祈願をしたのではと推測します。

戦の神と言えば、全国4万社あると言われる八幡神社の祭神である応神天皇です。武運の神である応神天皇は日置族の祖でした。
http://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_90.html

なお、戦国時代を代表する弓道の流派となった日置流・印西派の創始者である吉田重氏の子孫達は、織田信長や織田信雄に仕えています。

さらに、近畿のみならず、名古屋にも平安時代から日置荘という荘園があり、日置族の拠点のひとつでした。また名古屋には昔、日置城もありました。日置城の城主は織田寛定もしくは織田忠寛でした。

まとめます。織田家の拠点である尾張には古くから日置荘がありました。尾張日置城の城主は織田家でした。さらに織田家は戦国時代日置流弓術を採用して戦を行いました。織田信長は桶狭間の決戦前に日置神社で戦勝祈願を行い、勝利後に千本松を贈りました。

このように日置と織田の関連は幾つも出てきます。もしかしたら、織田信長の祖先も日置族とどこかでつながっているのかもしれません。

次回は、まとめです。現代の理系・日本の源流はすでに古代からありました。
https://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_27.html




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