いつ頃から「日置」の名が存在したのか、古い記録を探してみましょう。
奈良時代に作られた日本最古の公式歴史書「日本書紀(720年)」や、各地に残る「風土記(713年~)」などに、既に「日置臣」、「日置首」、「日置伴造」 、「日置部」などの記載が残っています。
「臣(おみ)」とは、古代氏姓制度の氏姓のひとつで、古代ヤマト王権において王家と並ぶ立場で最高の地位を占めた豪族です。
「首(おびと)」とは、地方の氏族や首長。「伴造(とものみやつこ)」も似ていて、各部司の集団長としての豪族。
「部(べ)」とは、王室や豪族に属した官有民や私有民です。
「首(おびと)」とは、地方の氏族や首長。「伴造(とものみやつこ)」も似ていて、各部司の集団長としての豪族。
「部(べ)」とは、王室や豪族に属した官有民や私有民です。
また、奈良時代より前の弥生時代の頃、第5代・考昭天皇(紀元前 500年頃)の皇后は、尾張出身の世襲足媛尊(よそたらしひめ)(別名を日置姫命・ヒオキヒメのミコト)と言われています。
従って、「日置」は日本で最も古い公式記録にもある、長い歴史のある名前のひとつと言えます。
そして「日置」の後ろに付けられた氏姓制度の位からもわかるように、「日置」は天皇に近いすごく偉い中央の豪族もいたし、地方のグループ長の豪族もいたし、その下で働く人もいたようです。
日置族の祖先(祖神)については、「(8)祖先は天照大御神および応神天皇」をご覧ください。 https://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_90.html
では、「日置族」の特徴とは何だったのでしょうか?次回、「理系の元祖日置族(3)」に続く。 https://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_5.html
そして「日置」の後ろに付けられた氏姓制度の位からもわかるように、「日置」は天皇に近いすごく偉い中央の豪族もいたし、地方のグループ長の豪族もいたし、その下で働く人もいたようです。
日置族の祖先(祖神)については、「(8)祖先は天照大御神および応神天皇」をご覧ください。 https://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_90.html
では、「日置族」の特徴とは何だったのでしょうか?次回、「理系の元祖日置族(3)」に続く。 https://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_5.html
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