1)日置に根拠地を置く一族は「日置部」と呼ばれ、古代から続く名族。
2)「日」とは「火」で、神霊を迎える聖火の準備をする役職でもある。
3)また太陽の移動によって時間を測定し、あわせて日暦を記録する、つまり日読みをする人たち(日置部)ではないかと思われる。
以上は、日置族の名前に由来に関する共通の理解です。但し、西日本を中心に広く分布していた各地の日置族は、その職位、専門性、出身・由来など必ずしも同じだったとは言えません。
(詳しくは、理系の元祖「日置族」(8)参照)
http://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_90.html)。
さらに、もう一つ重要な特徴があります。
それは、各地の日置族の調査から、太陽暦のみならず、土木建築、鉄製品、古墳造りなどの高い技術を有した日置族が多くいました。
さて、「優れた技術は渡来人によって大陸から日本に伝わった」と書けば安心する歴史家が今も多くいます。これは大変残念な発想です。日本は古くから現在に至るまで世界トップクラスの文化や技術を持っています。しかし、なぜか欧米人や大陸アジア人に対して必要以上に卑屈になる日本人(特に知識人や新聞記者、マスコミ人に多いので深刻な問題です)がいて、日本の歴史を過小評価してきました。
現在でも日本のマスコミ人と学者は他国の評価ばかりを気にする傾向がとても強く、自分自身の内面から出る考えがありません。心理学ではこのような性格の人のことをミラーマン(鏡人間)と言うそうです。
ところが、日本人は昔からアジアの中でもなぜかダントツ理系が強い民族です。もともと大陸アジア人と日本人の特質が違うことは、ミトコンドリアDNA分析からもわかっています。例えば大陸アジア(中国、韓国)人と日本人は祖先が人種的にも異なることが科学的に証明されています。
もちろん交流によって、海外から様々な新しい技術やモノが日本に伝わったことはあると思います。しかし多くは新しくても未熟な基本技術であったり、使い勝手の良くない原型だったのです。
そこに日本人固有の優れた理系の技術の介入と改良があって初めて、多くの人が使用に耐える高い技術や完成品となり、そこで初めて国内や国外に拡散していったと思われます。古代も現代もそれは変わらないのです。
時折、日置族は高い技術を持っていたので渡来人ではという説をみますが、それも同様に早とちりでしょう。事実はまるで逆だったのです。一部の大陸製品を日本に持ち込んだ渡来人が、日本古来の技術集団日置族などと共同で作業を行い、日本でより高度な技術や製品に変化していったのです。
製鉄技術がそのよい例です。朝鮮半島よりも古代日本の製鉄技術はとても複雑で高度でした。まるでレベルが違います。土からとれる鉄の原料成分が日本では違うから基本技術も違う。日本刀で使われる繊細な鋼の技術レベルも朝鮮半島にはなかった。つまり、高い技術を開発し持っていた氏族は大陸や朝鮮人由来ではなく、古代日本人の技術集団氏族だったのです。
但し、多くの渡来人は日本のが安全で技術も高いので、日本で仕事を続けました。日本で生活し続けるために日本人古来の氏族の名前を名乗ったり、帰化したりした例が多かったのです。昔も今も同じことを繰り返しているのです。
大陸から太陰太陽暦が日本に伝わるずっと以前から、日置族は日本で日本固有の太陽暦(日置暦)を扱ってきた氏族であったことからも、日置族は日本古来の理系氏族(太陽信仰の民族)と考えます。
日本古来の太陽暦については、以下を参照。
http://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_8.html
次回は、現在の天皇家にも残る儀式と日置盤についてお話します。
https://otonano-kodaishi.blogspot.jp/2015/08/blog-post_24.html
日置族のイメージ図 山口県・北浦百景HP参照 |
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